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今夜の番組チェック
Policy 〜隣にあるsoccerの風景〜
いいかげん『派手なこと』だけに目を向けるのはやめないか?
★ 00年5月28日 ★
5月21日、前日のJ1リーグで、勝てばファーストステージに優勝する横浜F・マリノスが、
セレッソ大阪の意地に屈した『三ツ沢決戦』の翌日、天気が良く初夏と言うには熱いくらいの日差し
を受けながら、私は君津市の新日鐵グラウンドで千葉県1部リーグ公式戦を家族で観戦した。
芝ではあるけれど、Jのグランドに比べるとヘビーなピッチ。スタンドもないグラウンド。純粋な
観客とおぼしき人は私の家族を含めて10人程度(他チームの選手と見られる観客は4・5人いたが)。
試合を行っている横・後ろでアップしている次試合に出場する選手たち。いわゆる『草サッカー』の風景
である。
試合は1部リーグでも優勝候補の中に入る市原スポーツクラブ。昨年あと1勝と言うところで関東リーグ
入りを逃し、今年はなんとしても関東リーグ入りを狙っている。対するはTATSUSHO。今年、県1
部リーグに昇格したチームではあるが、前身の『FCゴール千葉』は、74回の天皇杯千葉県最終予選で
決勝まで勝ち進んだチーム(そのときは、市川クラブに3−2で惜しくも破れている)。
まずはチームの基礎をかため、1部キープを目標に今季を戦うニューカマー。
私たちは、グランド横のスペースに、『敷物』を敷き、子供とボール遊びをしながら、すぐ横で戦う両チーム
の熱い戦いに目を向けていた。『パパ!遊ぼうよ!ボールちょうだい!』と声をかける子供。子供とボールの
取り合いをやりながら、私はふっと『あの日』のサッカーの風景を考えていた。
そう。あの日もこんなに熱かったような…
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94年5月22日。私は、東京都町田市にある陸上競技場にいた。
前身の三菱時代からの『浦和レッズ』のかなり熱狂的といえるサポーターだった私は、この年の4月に、
埼玉県からここ町田市に引っ越してきた。
『地域に密着』『ホームタウン制』『百年構想』と、今までのプロスポーツにはなかった概念をスローガンに
始まったJリーグ。その中でも我がレッズは、チームは弱いながらも、地域住民の熱い支援と熱狂的ともいえ
るサポートに後押しされて、J理念を実践している『優等生』というレッテルを貼られながら、私自身も、
レッズサポーターというある種の『優越感』を感じながら試合をする『仲間』に『力』を送っていた。
それは、埼玉に住んでいた私には至福の感覚であったし、少なくても私には、彼らはなによりも象徴であった。
しかし、東京都に越してきて1ヶ月、レッズとの距離を感じるようになり、不思議なくらい自然にレッズの
試合から足が遠のいた。まるで、『離れていても愛があれば付き合うことはできるよ』と言ってみたものの、
実際離れてみると、いかんともしがたい距離という壁に屈するように私の中でレッズは日に日に遠い存在と
なっていった。あれだけ毎試合スタジアムに通っていたのが不思議なくらいに。
この日、私は、朝起きて、なにげなく開いた地域紙に目をやっていた。そこに、ある試合予定がかかれていた。
14:00 JFL 東京ガス vs 富士通 町田市陸上競技場
確かに前年、ベルマーレ湘南とジュビロ磐田がJFLからJリーグに昇格し、今年も柏レイソル・セレッソ
大阪や、藤枝ブルックス・京都サンガやPJMフューチャーズが激しい戦いを繰り広げているということは
『新聞』『雑誌』では知っていた。もちろん今のようにインターネットは普及しておらず、まだシステム屋
の遊びとしてしか機能していない時代(それからわずか6年。時代は変わったもんだ)。一口に『JFL』
といっても、その試合に金を払って足を運んでみる『魅力』をその響きからは感じることができなかった。
その日も何となく朝起きて、天気もいいし、ドライブでも行こうかな?などと彼女と話していた。
しかし、レッズにチーム愛を感じなくなっていた私に、JFLとはいえ、サッカーの試合が、車で15分
程度のところで行われるという『事実』に、まるで禁煙をしている人が自分の好きな銘柄でなくてもつい吸って
しまう!というような感覚に自分が引き入れられていくのを感じた。そして彼女を誘って町陸に車を進めた。
試合会場に着いたのがキックオフ15分前。会場の外では、仮設テントが4つ散らばっていた。一つは、
当日券売場。ひまそうに、パンフレット(JFLのパンフレットは1000円で売っていた。今もそうなの
だろうか?)を読みながら過ごす若者2人。二つ目・三つ目は東京ガスと富士通の社員用の招待券配布所。
企業の福利厚生と社員の士気と一体感を強めるために、スポーツは企業の『広告塔』としての役割を果たして
きた。東京ガスも富士通も、東証1部に上場する大企業。そしてサッカーのレベルも、アマチュア最高峰に
位置するわけで、士気高揚としては十分な実力を持っているチームである。そして最後は『売店』。そもそも
JFLで、食い物の売店が出ることが意外だった。
私と彼女は、ひまそうにしている若者から当日券を買い、初めて町陸のスタンドに足を踏み入れた。
町陸のスタンドはメイン側にしかない。いわゆる『バック』『ゴール裏』と呼ばれるエリアは、芝生である。
そしてこの試合はメインスタンドしか開放していなかった。私と彼女は、中央のやや東京ガスよりの席に座った。
落ち着いて、周りを見渡すと、だいたい100人強の観客がいた。『○○(選手の名前)のやつ、昨日営業
さぼりやがって』『しょうがねえだろ。今日試合なんだから』と話しているオヤジ数人(彼らはきっと上司か
同僚なのだろう)。浦和のキャップにガンバのTシャツ。双眼鏡を片手に観戦するサッカーおたく、いや
サッカーマニア。どこでどう情報を仕入れたのか、弁当持参の家族連れ。少年サッカーチームの豆選手と
監督かコーチとおぼしき引率者。
まさかこんなに観客がいるとは。というのも意外だったのだが、それより意外だったのは、選手紹介が
始まったとたん『ドンドンドン』と太鼓を鳴らしてコールする『サポーター』。富士通に5名程度。そして
東京ガス側にも、太鼓こそないが、メガホンを片手にレプリカを着て応援する若者数名。
『一体この人たちはなにをやっているのだろう??』
答えは『サポート』なのだが、それでも信じられなかった。社員有志とも思った。案外そうだったのかも
しれない。彼女も『応援に駆り出されたんだよ。きっと』と言っていた。
キックオフは定刻に始まった。残念ながら試合内容は詳細を覚えていない。もう6年も前の事だ。周りの
風景や印象はあるのだが(ただ、富士通には中国人選手が多数在籍していたことが印象に残っている)。
しかし試合は白熱し、2−2のままPK戦を5−4で制した東京ガスが富士通を破った。
そんな私がこのあと、選手や、いまや『名物』とまで言われるようになったサポーターらいろいろな人
との『出会い』を経て、『東京ガスサッカー部』を応援していくことになる。いや、『FC東京』と名を
変えた今でもサポート『している』のであるが。
今から考えると、たかだか6年前に、町田市の小さな陸上競技場で試合としていたあの東ガスが6年後に
日本のトップリーグを戦っている。自宅のすぐ近くで子供たちに気さくにサインに応じていた彼らが、J1
で、日本のトップクラスの選手を要するジュビロ・グランパス・そしてマリノスらを破って、今ステージ6位。
それは、まるで、自分の息子の成長を見届けるようなものであると思っている。(東京のここまでは『できすぎ
たサクセスストーリー』であるが。)
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02年9月8日
私は2002年シーズン(ちばぎん)よりFC東京に代わり、ジェフユナイテッド市原をサポートしている。千葉
に居を構え数年。ようやく自分の中で『千葉県』を占める気持ちが大きくなってきたのもあるし、ホームスタジア
ムに自分の子供を連れていくのに、電車で数時間東京スタジアムに通うことを考えると、車で数十分という市原
臨海競技場はやはり魅力がある。もちろん蘇我に計画中のスタジアムがもし完成し、ジェフがホームタウンと
して千葉市を含め広域化した暁には、名実ともに我が街のJリーグクラブになるのは、過去の経緯がどうであれ
事実として間違いない。スタジアムへの距離もさらに近くなる。サポートするクラブとして言うことはない。
これから数十年。『千葉市』をホームにするクラブをサポートしない手はないであろう。まずはその程度の単純
な理由から。これから時間をかけていろんな『ジェフ』や『ジェフとjoinしている人々』を感じていければ。
と思っている。
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Jリーグは『百年構想』である。地域に密着したサッカー文化を100年かけて創っていこうという
『気の遠い話』である。将来『ミユゥラ・カズ』がチェアマンになり『ラモス・ルイ』が協会会長になって
いるかもしれない(いや、そんな可能性は高いだろう)。でも、例えばそんな『遠い夢』をサッカーに託して
みるとすれば…
1921年、大正10年に第1回の天皇杯が開催された。そのときの優勝チームである『東京蹴球団』。
実は、今でも『東京都リーグ2部』で活躍しているのである。昨年までは1部でプレーしていたが、
残念ながら2部降格。しかしクラブの歴史をたやすことなく今でもリーグ戦を戦っている。私は東蹴の試合
を見たことはないが、そんなチームが将来、Jリーグにあがってくる可能性だってあるかもしれない。天皇杯
にしたって、79年前の話。そこから数えてもあと21年もあるのだから。
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新日鐵グラウンドで私が見た風景。それは、『地域に密着する』とうたったJリーグ理念の1つの実践
かもしれないし、将来へのシンパシーかもしれない。『華やかさ』や『チームの実力』とは違った視点
から、スポーツを愛すること。そんな風景を少しでも多くの人に感じ取ってほしい。もちろん、プレー
しいる選手や関係者はそうは思っていないかもしれないし、私が勝手に感じていることであろう。
でもそんなことはどうでもいいこと。『高い入場料金』を払って、その対価を選手のプレーに求めていく
文化が果たして本当のスポーツ文化なのだろうか?もし、この日本に、本当の意味でのスポーツ文化が
根ざすとすれば、『弱いから・実力がないからつまらないし、応援に行かない』等という人は確実に
減っていくだろう。
巷では、日本代表監督が云々とか、2002年に向けて備えることとは?等、まことしやかに論じられ
ている。しかし、そのまえに、日本という国に、本当の意味での『文化』としてのサッカーが根付いてい
くためにやるべき事はたくさんあるし、それをやらないと、ワールドカップなど、ただの『お祭り』で終
わってしまう。残されたものは、巨大スタジアムの『夢の残骸』。
いいかげん『派手なこと』だけに目を向けるのはやめないか?
あなたの町にもサッカークラブはある。それがたまたまJリーグに所属しているか、県リーグ3部に
所属しているか、大学クラブか少年サッカークラブか。たかだかその程度の話である。あとは、実際に
足を運んで『隣にあるsoccer』を体験してほしい。そんな人の『輪』が、本当のサッカー文化を作って
いくものと信じている。
『百年構想』まであと90年以上もあるではないか…
サイト管理人 tokepon